あの地震が起きた時、あたしは飛び出す引き出しにガムテープを張りまくり
ファイル棚に鍵をかけるように指示してた。
地震の大きさにびっくりし、すぐに母に電話をかけた・・・
呼び出し音もしない電話を何回も何回もかけたっけ。
そして・・・定時まで過ごして延々5時間以上かけて徒歩でうちに帰った。
あの日は、こんな風な日々になるとは思わなかった。
震災が奪ったのは・・・安穏とした暮らし。
そして、原発事故があたしから根こそぎいろんなものを奪った。
しかも、原発事故は・・・ほとんどどが人災。
~だと思った、想定していなかった・・・そうじゃなくてさ
基本的なそこにいた東電マンの考え方が間違っていたのだと思う。
それこそ、安全神話に胡坐をかいていたのだと思う。
地元に住んでた人達にとって、制御室にいるような
本社から派遣された社員は優秀だと思ってたし、彼らを信じていた。
例え、東電の中には保障期間切れでもう部品がないものがあるという噂があっても
非常訓練って、ただ自分らが避難するだけであちこち計器見るのは目視だけって誰かが言っても
そんなことないでしょ?大きい会社なんだからって、みんな否定してた。
それがこんなんなるとは・・・・
そのまま安全神話を信じていた、無知なあたし達がいけないのかなぁ?
あたしが育ったとこは・・・原発から5キロ。
町というか実家には20年帰れないみたいだね・・・。
てか、20年経ったら、震災も原発事故も風化してるし
一番帰りたいと思ってる母や母の友人たちももうこの世にはいないだろうな。
今、建ってる実家なんて20年人も住んでなっきゃ荒れるしそのままじゃ住めるわけないよねぇ・・・
ほほ老人の域に達したあたしが一人で家を建てるなんて暴挙もできやしないし
やっぱりさぁ・・・あの震災はあたしから全て奪ったんだなぁとシミジミ
津波被害の人もそれぞれあるだろうけど・・・
大学や仕事で、実家から出て外にいた人には何もないんだよねぇ。
何年もしないうちに、実家に帰るはずだった人っていたはずなのに・・・
母の次のホームも今の母の状態を言うと申し込んでも断られるばかり。
逆に仮設住宅も借り上げ社宅も避難して住めるとこがある人がうらやましくなってきた。
家電製品ついていたれりつくせり・・・
うちの母みたいに20万近いお金を払いながら介護ホームにいるってどうなんだろ?
貰った被害見舞金は半年でホームの利用料に消えた。今は貯金を持ち出すばかり。。。
しかも、日に日に邪魔者扱いする職員が増え、意地悪されると訴える母を見てると
なんだか、不公平な気がしてきた。